東日本大震災2011/05/03 22:30

3月19日の被災地

3つ目の大きなターニングポイントは、なんと言っても東日本大震災です。

 3月11日金曜。その日は東京で仕事をしていて、仙台に戻って第2回目の送別会の予定でした。  ちょっと早めに仕事を終わって仙台に向かおうとした瞬間にグラッと地震が発生しました。

 東京でもかなり大きな揺れで、その時は「関東大震災が来た!」と思ったのですが、震源地は東北という事でイヤな感じがしました。

 東京のJR・私鉄共に全線で運休となり、会社から歩いて帰る人もたくさんいました。東北新幹線も運休、東北自動車道も通行止めで、仙台に帰る手段を全く無くしてしまいました。

 その日は、会社で宿泊。携帯電話のワンセグテレビの小さな画面で東北の状況を確認していました。

 自宅は大丈夫だと思ったのですが、実家が仙台空港の近くにあり、両親・親戚・友達がとても心配でした。  しかし、携帯電話も不通で連絡の取りようがありません。

 ちょうどテレビの中継で、実家近くをヘリコプターからの映像が流れ、周囲は壊滅的な状況でしたが、実家の家の形だけはなんとか残っていました。

 日頃から両親が「洪水が起きた時には隣にある鉄筋コンクリートの老人ホームに逃げるから大丈夫だよ」と言っていたのを思い出し、「これなら…なんとか生きているかも知れない」という気持ちになりました。

 13日(日)の朝方に弟と連絡が取れ、実家の両親とも話をする事が出来ました。

 私は3月18日(金)に羽田空港→山形空港の臨時便に乗り現地に入りましたが、実家近くは、まだ水が引かず瓦礫の山がまだまだたくさんある状態でした。

 両親は幸いにも無事でしたが、親戚や小学校からの友達も1/3近くが行方不明となっていて、津波の恐ろしさをあらためて痛感しました。

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